戦争論ー良い戦争・悪い戦争 ー日清戦争から太平洋戦争までー
日本は国連軍に参加するべきか?
更新日2025.5.13
(日清戦争ー日中戦争) (太平洋戦争、戦争論)
「だれかが死ぬということは、自分を減らすことなのだ。何故なら、自分も全人類と
結びついているからだ。
それゆえに、ひとを遣って、誰がために鐘は鳴るかを問わせることをやめよ。
鐘はお前のために鳴っているのだ。」
(ジョン・ダン イギリスの宗教家・詩人−16世紀末から17世紀 )
「どんな時代でも、どんな社会でも、現状を維持したい者と現状を変えたい者の
対立は存在する。その権力闘争の究極が、戦争である。」
「健康を維持するためには、病気について学ばなければならない。
平和を維持するためには、戦争について研究しなければならない。」
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。」
「自由とは好きなことをする権力ではなく、為すべきことができる権利である」
(アクトン卿 イギリスの歴史家−19世紀 )
「戦争が起きる原因は3つしかない、それは『利益』か『恐怖』あるいは『名誉』だ」
(トゥキディデス 古代アテナイの歴史家−紀元前400年)
(「名誉」を、「大義」と置き換えると、現代の戦争原因により適する)
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」
(クラウゼヴィッツ プロイセンの将軍−19世紀 )
「愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験に学ぶのを好む」
(ビスマルク ドイツ帝国初代宰相−19世紀 )
「人間の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である。
その中でも、最も古く、最も強烈なのが未知のものに対する恐怖である」
(H・P・ラヴクラフト アメリカのホラー作家)
「我国は、永遠の同盟も、永遠の敵も持たない。
永遠なのは、我国の国益だけである」
(パーマストン イギリス首相−19世紀 )
「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」
(暉峻淑子てるおかいつこ(経済学者)「対話する社会へ」)
「戦争になると、価値観が逆転する。『人を殺してはいけない』が
『一人でも多く殺せ』に変わる。」
はじめに
私の戦争についての考えを簡潔に述べると、1、戦争の本質は、「自分が生き残るために、
敵を殺す」という事だが、戦争はすべて悪ではなく、良い戦争(自衛のため)と悪い戦争
(侵略目的)がある。
2、歴史的に侵略戦争であっても、祖国を守るため大切な人々を守るため、勇敢に戦い、
我が身を犠牲にした英霊の方々にたいしては、深く哀悼の意をあらわしたい。戦後日本の
平和と発展は、英霊の方々の尊い犠牲があったからこそ、と私は思う。
戦争の分類ー日清戦争から太平洋戦争まで
自衛の ためか? |
当時の 国際世論 |
現代の 善悪基準 |
不可避 だったか? |
勝算 | 開戦に関 する政府 の指導力 |
|
日清戦争 | △ | △ | △ | △ | ○ | △ |
日露戦争 | ○ | ○ | ○ | ○ | △ | ○ |
韓国併合 | △ | ○ | × | × | ○ | ○ |
第一次 世界大戦 | × | △ | △ | × | ○ | ○ |
満州事変 | △ | × | × | × | ○ | × |
日中戦争 | × | × | × | × | △ | △ |
太平洋戦争(対英蘭) | △ | △ | △ | △ | ○ | ○ |
太平洋戦争(対米) | △ | × | × | × | × | ○ |
自衛の ためか? |
当時の 国際世論 |
現代の 善悪基準 |
不可避 だったか? |
勝算 |
開戦に関 する政府 の指導力 |
(フィリピンは、アメリカの植民地だったが、1934年に10年後の独立が決められていたため、
太平洋戦争(対米)の「現代の善悪基準」は、× と判断。)
日本は国連軍に参加するべきか?
金だけ出せば済むという時代は終わった。自衛隊が、国連軍や多国籍軍に参加したからと
いって、軍国主義が復活するとは考えられない。ただし、上記の例でもわかるように、国際
世論が是とした事が100年後にまちがった事とされる場合もある。国連が認めたから参加
するのではなく、100年後の人々も是とするような軍事作戦だから参加する、という考え方
が必要だと思う。
最後に
「世界平和のために、日本も人的貢献をしなければならない。」という言葉は正論だが、
戦場で実際に血を流すのは、自衛隊、警察の人々や国際協力の仕事をしてる人々であり、
政治家やマスコミの人間ではない。
私の好きなある小説のセリフで、この文章を終わらせたいと思う。
*(政治腐敗を理由にクーデターを起こした軍人達に対し、クーデターへの参加を
拒否した軍人のセリフ)
「政治の腐敗とは、政治家が賄賂をとることじゃない。それは個人の腐敗であるに
すぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判することができない状態を、政治の
腐敗というんだ。貴官たちは言論の統制を布告した、それだけでも、現在の政治
を非難する資格はなかったと思わないか」
「私がきらいなのは、自分だけ安全な場所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調
し、他人を戦場にかりたてて後方で安楽な生活を送るような輩です。こういう連中
と 同じ旗のもとにいるのは耐えがたい苦痛です」
* (民衆に支持されている聡明な専制君主と、それに戦争で敗れた民主主義国家
の軍司令官の会話)
専制君主 「ときに暴君が出現するからいって、強力な指導力をもつ専制政治の功を
否定することはできまい」
民主国の軍司令官 「私は、否定できます。人民を害する権利は、人民自身にしか
ないからです。言いかえますと、独裁者や腐敗した政治家を政権につけたのは、
たしかに人民自身の責任です。他人を責めようがありません。まさに肝腎なのは
その点であって専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできると
いう点につきるのです。その罪の大きさにくらべれば、100人の名君の善政も
小さなものです」
「私としては、にわかに首肯はしかねるが、それによって卿は私を説得することを
こころみているわけなのか」
「そうではないのです。私は、あなたの主張に対してアンチ・テーゼを提出している
にすぎません。ひとつの正義に対して、逆の方向に等量等質の正義が必ず存在
するのではないかと私は思っていますので」
「正義は絶対ではなく、ひとつでさえないというのだな」
(このWEBページ「戦争論」は、リンクフリーです。)